ベルリンに来て2年 雑記

ベルリンに引っ越して来たのが2018年9月末。ベルリンに来て1年の記事は書きそびれてしまったのですが、2年のメモを残しておきます。

↓2年前ベルリンに来たときの記事です。 asus4.hatenablog.com

↓ベルリンの子育て事情や、生活のふと気づいたことなどは、妻の連載やブログに乗っているので、この記事では、それ以外のことについて雑多に書きます。 dual.nikkei.com

海外のスタートアップで働く人の記事はぼちぼちありますが、フリーランスの話はやや少ない気もするので、そういった話を書きます。

生活編

英語

未だ片言だけれども2年前よりはうまくなったと思います…。うまくなったというよりも、数をこなして度胸や対応力が上がったという方が近いかもしれません。毎週月曜日の"How was your weekend?"に対する返しだったり、英語のNDA契約書を全部DeepLにかけて翻訳頑張ったりだったり、お昼ごはんにいってそれぞれの出身国の少子化問題と年金制度の話をしたり、日々あー死にたいと、恥ずかしい思いをしながらゆっくり上達していってる感じです。

ドイツ語

スーパーや、レストランでの決まりきった注文などはできるようになってきたものの、日常会話は全然だめです。オフィスでは基本英語なのでそれで困ることは無いのですが、一番困るのは息子(3歳8ヶ月)の保育園。今ドイツ語の保育園に通ってるのでもちろん先生とのコミュニケーションは全てドイツ語。先生も簡単なドイツ語で話してくれるもののコミュニケーション不足なのは間違いありません。語学レベル的には「オムツナイ?、ワタシアシタオムツ、モッテクル Danke Tschüss (挨拶だけは流暢にできる)」みたいな感覚です。今後長く住むとするば、3年後には小学校も始まるので何だかんだドイツ語の上達は必須です。ビジネスで住むとの家族で移住することに違いを切に感じます。第二外国語を学ぶこと自体は刺激が楽しくて良いのですが、子育て世代の少ない自由時間で中々ドイツ語より仕事、となったりしてしまっているのが現状です。

パンデミック

やはりこの話も忘れないように残しておかねばと思います。

ヨーロッパは世界でも有数のパンデミック地になり、明るい雰囲気のベルリンの街も重々しい雰囲気になりました。最近は長期化して人々も慣れてきたのか笑顔が戻ってきていますが。

パンデミック初期はアジア人差別も経験しました。子供とベビーカーで電車に乗っていたときに"bist du krank?"(あなた病気なの?)と言ってくるおばあさんがいたり、アジア人の私達をみるとわざとらしく咳き込むジェスチャをする小学生がいたり。普段はジェントルマンでも、一度マジョリティvsマイノリティの構図ができると容易に差別は生まれてしまうことを学びました。春過ぎ頃から中国のパンデミックが落ち着き、逆にヨーロッパがパンデミックなると、マイノリティが居なくなったのかそのような行為はぱったりとなくなりました。

春頃は保育園も休園になり、仕事も結構無くなったのであまり何もしていませんでした。

物価とクオリティ

2年前のブログでは物価は東京と同じくらいと行ったものの実際過ごしてみると少し違いました。確かに物価は同じくらい。最初の頃は、家賃も東京23区より少し安く、スーパーでの野菜(あとビール)の安さに驚いていましたが。色々な物を買ったり、色々なレストランに行ってみると、ベルリンで東京と同じクオリティのものが欲しければ、もう少し払わなくてはいけないことがわかってきました。統計 n=2(私と妻)によれば以下の様な感じです。

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雑な図

同じくらいの価格帯の商品は手に入るものの、東京と同じ様な品質のものは結構高いということです。肉、魚も、かなり安いものはありつつ、肉のハナマサのように安くて美味い、なものは中々無く安いがちょっと臭みが強かったりしています。 むしろ最近では、東京の100円ショップで買えるもののクオリティや、500円ランチ。1000円出せば結構美味しい定食にありつける環境がおかしいくらい恵まれてるのだなと思うようになっています。

仕事編

仕事を探す話

スタートアップが多く来ているベルリン。プログラマーとしての職は結構あるようです。私は自分に制約を課して、ビザはアーティスト・デザイナー職として登録しました。 そのためHTMLコーディングやアプリ制作の仕事は受けれません。クリエイティブテクノロジスト・クリエイティブコーダーとしてのフリーランスの仕事を探しました(まあそこの垣根は曖昧だと思っています)。

ドイツ語は喋れない、英語も上手ではない日本人がヨーロッパで仕事を得るのはまあ厳しい。いくつか自分が一緒に仕事してみたいと思っていたベルリン拠点のクリエイティブ系のプロダクションに営業して、そのうち何社かいい反応があり話をする機会がありました。どの会社も反応はなかなか良い(英語特有のオーバーリアクションなのかもしれませんが)。ところが人日単価の話になると、ベルリンのフリーランスだとちょっと高いね…という反応でした。東京にいたときとさほど変わらぬ単価だったのですが。ベルリンで働く先輩日本人クリエイティブコーダーと自分の人日単価の話になったときも、私の設定した値段はベルリンのプロダクションにとっては少し高めのようでした(プログラマーとしてはベルリンでも全然安めだと思います)。ヨーロッパ主要都市にしては物価が安い街なので、給料も安いのです。そして実績の無いフリーランスにはそこまで払えないという印象でした。

一人暮らしなら、ここで単価をやや下げて、仕事の実績を作ることを優先できますが、家族3人暮らしで妻もフリーランスなりたてということを考えると、単価交渉はあまり妥協せず行きたいです。日本円ですが東京フリーランス時代に頑張って貯めた貯金は合ったので、踏ん張ってもう少し探すことにしました。また単価の話はスウェーデン、サンフランシスコの人と話したときは、安すぎない??という話だったのので、結局は物価によって変わる相対的なもののようです。

営業的な気持ちでベルリンのスタートアップが集まる情報交換イベントのようなものにも何度か顔を出しましたが、こぞって成果は皆無。…でも振り返れば、日本でもそういったスタートアップミートアップ!のようなキラキラしたイベントでなにか仕事に繋がったことはありませんでした。まああまり営業向きではない性格もあると思います。 日本でも基本的にはFacebook/Twitterの知り合い経由でしか仕事をしたことはありませんでした。すこで少し作戦を切り替えました。Twitter/Facebook/Intagramを営業ツールに振り切って英語に切り替えて、(日本語でツイートしたい欲望を抑えて)マニアックだけど刺さる人には刺さりそうな投稿をしたりしてみました。

SNSに投稿する内容はすごいシェーダーがかける、ARアプリが作れるとかだと、世界で100人以上ライバルがいる気がするので、とことんライバルが居ない領域に絞って、2020年はUnityでのオンデバイス機械学習くらいまで内容を絞って投稿していました。それがうまく行ったのか最近ではLinkdin, Twitter, Facebook経由で週1くらいで何かしらの相談が舞い込むようになって来ました。

今やっているプロジェクトはGitHubスポンサーをしてくれた人にTwitter経由でお礼を言ってみたら、彼がロンドンの映像プロダクション所属で私の作ったライブラリを使ってくれているようで、「一緒にやる?」という話になったところからでした。 コロナ下でロンドンのスタジオも全員work from homeになり、ロンドン→ベルリン間の時差も1時間でほぼ不自由なく働けるのも大きそうです。

日本とのリモートワークの話

ベルリンでのんびりと仕事を探しつつも、完全に無収入になるのは怖いので、Whatever(旧dot by dot), COTODAMA, siro, MESON など素敵な日本のいくつかの会社ともリモートワークをさせてもらっていました。どの企業もデジタルに強く、オンラインのみでの仕事でも柔軟に対応してもらえました。時差があるので移住当初は心配もありましたが、日本の夕方、ドイツの朝が時差がかぶるコアタイム。その間に連絡を取り、午後は集中して制作に取り掛かる、という流れができあがってからは割と柔軟に対応してもらえた気もします。

その他の細かい話

  • ドイツがホワイトというのは本当でした。今まで3つのコワーキングスペースにいましたが、18時台にはオフィスはまばら。ニューヨークと仕事していて、夕方から来る。みたいな人もいましたが。ただ全部がホワイトというわけではなく、広告プロダクションなどの職種は結構忙しいこともありそうです。私の観測範囲だと、来週クライアントチェックがあるから土日も作業する、22時にプルリクエスト来たりなどありました。

2年 振り返り まとめ

👍 家族みんな健康で生きてる!
👍 仕事が海外メインで回り始めたかも
👎 英語はまだまだ
👎 ドイツ語がんばる
👎 リモートワーク&コロナもあってプロジェクトの内容がソフトウェア比率100%になっているので、もう少しハードウェアやりたい欲が

という感じです。もっと色々あるのですが、細かい話は日本に帰ったときに飲みに行って話しましょう。